ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月30日水曜日

5日目 写真
















5日目 北澤潤

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 ティンプー中心街にあるホテルペリン。大きなワゴン車で出発するが、デジタルカメラのバッテリーを忘れて引き返した。その隙に五十嵐さんは地下のレストランで朝食をパックしてもらう。再度車に飛び乗って陽気なガイド、リンチェンさんとドライバーのティンレーさんとともにDruk Schoolに向う。2枚目のパンをほおばりながら校門を入りすぐに準備をはじめた。

 

空を描いた布はすっかり乾いて、色はだいぶ落ち着いている。5枚の布と5つの骨組みをグラウンドに運ぶ。昨日つくったひとつめのSky Bedを子どもたちが神輿のようによいしょよいしょと運んでいる光景をビデオにうつしていたのだが小さな空が歩いているようで微笑ましい。空の布をテンションかけて張る作業をはじめるが、力がいるのでなかなか子どもたちにはできない。それでも大人のフォローや、縄を準備する役をしたり、頑張って自分で張ってみたり、それぞれやることをまず見つけようとしていた。ただしそこであまり見つからないと男子はサッカーをしたがる。女子はおしゃべりなど。昨日よりはるかにゆるい方法ですすめてみていたので散漫になりそうだった。五十嵐さんとは事前にこの布を張る時にだんだんと手持ち無沙汰になることは予測していた。なので、同時に学校づくりの方も私が担当してすすめていくことにした。

 

まずは、学校をはいってすぐのところにある大きめのホワイトボードを借りてくる。Artの先生であるテシーにマーカーもお願いするが、なんでか時間がかかって新品を用意された。普段使っているのがあるはずなのになぜだろう。そういえばクレヨンも新品だった。外部者への気遣いといったところだろうか。だんだんと子どもの名前を覚えてきた。タシデマは一緒についてきてくれて、最初ふたりでホワイトボードを動かそうとしたが結局男子たちに運ばれてしまった。マーカーを数本もってもどる。《School of Sky とタイトルを大きくマーカーで描き、みんなに色塗りをおねがいした。チェッツォたち女子グループに学校の全教科を挙げてもらいながら、買っておいたマットをホワイトボードの前に敷く。男子たちもだんだん寄ってくる。この教科の中から好きなものを選んで先生をやってもらうことになるのだが、ひとまずスカイベッドができてから班分けや内容づくりを行いたかったので、その間明日のチラシをつくることにした。キンリーとともにスタッフルームに行き、いらない紙をもらう。スタッフルームはいわゆる学校事務の場所でパソコンが3台あった。

 

チラシに記載すべき必要な情報をみんなに伝える。

SCHOOL of SKY

Time: 30th March  2pm – 3pm

Place: Football Ground

We are planning our original school “School of Sky”.

We will be teachers in School of Sky the time.

Please do come!!

 

マーカーとクレヨンを駆使してチラシを書く。だれに配る、どこに配る、何枚つくる。みんな配りたい一心で枚数を増やしていった。こういう作業になるとみんなのキャラがすごくわかりやすい。カルマはお調子者で歌をうたったり、どうしょうもない日本語を言ってふざける。チミは背が大きいしっかり者な印象。私が描いたチラシをなぜか毎回褒める。ナムカは坊主で小さい、葉っぱを両手でこすって緑色にして私に見せながら笑っている。タシデマはチラシにする紙を黒く塗り、虫眼鏡をつかってもやそうとしていた、今日はたしかに日射しが強い。標高がたかくて寒いはずなのに日光によって汗をかく。誰かが私の両頬に手を当てた。ナムカだ。なんのことかと思ったらカルマが「チ、チ、チ!」と言う。この葉っぱは肌がいたくなるらしい。そういうことか、ナムカの手をとって彼の頬にもつけてやる、騒ぎ笑うナムカ。昨日かなり気になった言葉の壁はだんだんとなくなっている気がした。

 

チラシが35枚描き終わると、スカイベッドも5つ完成。円弧状にならべてみんなで乗ってみる。トリスンが気持ち良さそうに寝ている。チミが乗ったら竹が痛む音がしたけど気にしないことにしよう。しばらくの間、思い思いにスカイベッドを使ってもらい、飽きてきたら中心にあつまってもらった。これから明日に向けて内容を考えますと言うと、みんなチラシを書いているので、ようやく来たかという感じ。ホワイトボードに書いてもらったなかで先生をやりたい教科を挙手してもらう。大体が英語と数学。数人が社会や理科を選んだが、しょうがなく英語と数学チームのなかにはいってもらうことにした。リーダーを決めるが当然だれも名乗り出ない、私の印象で選んでみると、トリスンは一言、100% no problem! かなり疑わしい。

英語チームのリーダーがトリスン、数学チームのリーダーがキンケン。チームごとに別れてもう一度スカイベッドを使ってみてもらう。一気にごちゃまぜになる。リーダー早速まとめられていない。雨がふりそうなので、一度スカイベッドを端にまとめ、カバーをかける。マットに靴をぬいで座りミーティング。この時点で与えられた時間は過ぎていたのだがあと15分ならいいとワンガさんがいったので続ける。

 

英語と数学はいつもどのような授業か、日本から来た私たちに教えてくれという雰囲気で聞いていく。内容自体は大して変わらない。日本とここで違うところは授業の内容というより、学校全体がもつ空気感だろう。日本よりはるかに緩い。校長先生は「バランス」と言っていた。「日本はstudy study study.ブータンはfree。でもフリー過ぎはだめ、バランスよ。」と。

 

授業内容を考える時間は私も全く予想していないので、我々にも彼らにもハードルが高い時間になる。みんなで車座になりながらアイデアを待つ。トリスンとカルマはふざけている。英語チームのチミがいった「スカイベッドの上で空について話す。」これが英語チームのきっかけとなった。私がその言葉をひろって細かくどうするのか聞いてみる、最初はスピーチするつもりだったのだが、だんだんと二人一組でスカイベッドで話すという流れになってきた。チラシをみてきた先生達も混ざれば面白い、チミがリーダーシップをとってだれが先生をやるかも決定。英語チームは大丈夫そうだ。数学チームは全くまとまらない。キンケンがふざけていったsleep!という言葉を五十嵐さんがひろい、スカイベッドで眠ること授業で眠ること、でも数学的要素を含むというキーワードだけ出たところで終わった。

 

活動を仕掛ける側がスケジュールや最終形を予想できない進め方が、リスクはあるが真実だとおもっている。やることやステップをきめてすすめるというより、一緒につくる人達との対話でどんどん拡張していく。その都度どうするか考え、即興的におさまりかたを考える。今回の数学班はあまりに収まらなすぎだがそれもまた良しである。

 

最後にチラシを配る。超特急でチラシを持って学校内に散らばった彼らは、先生を探し声をかける。キンケンとナムカについていってみるが、ほとんどすでに渡されていた。みんな授業中なのに気にせず教室にはいっていく。いいのかなーと思いながら、こっちの前提がおかしいということが今回かなりあるのでひとまずほうっておくことにした。

 

明日の2時から1時間おこなわれる《School of Sky》は前日の今日、彼らの手で予告された。

 

片付けを終えてお茶をしていると、グラウンドにほぼ全校生徒が集まり行進の練習をしている。学年ごちゃ混ぜの4チームに別れて先頭が旗をもつ。このグループは何だとワンガさんに聞いた所、入学時に分けられて、その後、スポーツで対抗戦をしたり、勉強で比較したりするらしい。年度ごとにトップのグループを決める。トップのご褒美はピクニックだという。この方法には驚いた。校長先生の言葉を思い出す。「バランスよ。」なかなか大胆なバランスのとり方だった。

5日目 五十嵐靖晃

2011年3月29日(火)

 

School of Sky 2日目」

 ワークショップ2日目。最高の天気に恵まれた。見上げると青空と雲がある。昨日、子供達が描いたイメージそのものの空の風景である。みんなが見たかった、行ってみたい空である。

 今日は、Sky Bedを完成させるために竹の構造体に布を張り付ける作業。Sky Bedの仮設置と試乗会。School of Skyの授業内容を考える話し合い。School of Skyの生徒を募集するための手作りちらしの制作と配布を行った。明日のSchool of Skyの開校に向けて、ほぼ準備は整った。

 昨日からスタートしたワークショップの作業を通して、子供達の性格や特徴が見えてきた。会話からはもちろんだが、それ以上に、物を運んだり、線を描いてみたり、色を塗ってみたり、紐を結んでみたりすると、会話ではわからない本人の本質的な性格が垣間見える。

 乱暴な振る舞いだけど小さく描く人。1人になっても最後まであきらめない人。何かをはじめると耳に声が届かない人。見かけによらず大胆に色を塗る人。繊細だけれど芯の強い人。飽きっぽいけど全体を見ている人。真面目そうに見えても細かいことは気にしない人。常に誰かに見ていてもらいたい人。自分のことより誰かの手伝いをしていたい人。

 本当にいろんな人がいるが、1つ思うのは、ブータンの子供達は自分に自信があるということだ。それぞれの行動に本人自らの意志を感じる。周りを気にしないというわけではないのだが、まず自分が楽しむということを優先している。そしてその楽しみ方の違いを互いに尊重している。なので、なかなか足並みは揃わないが、とてもユニークな人達である。それぞれ違うから良いのである。そのズレの間に魅力を見つけることができるのである。

 9:00学校に到着。活動の拠点となっている作業スペースで待っていると、ちらほらと子供達が集まってきた。昨日一日、一緒に時間を過ごして、その雰囲気はもう他人ではない。「クズサンポー」「サー」。「おはようございます」「サー」。「good morning」「sir」。いろんな挨拶が飛んでくる。この子供達の言葉の後にくっついている「sir(サー)」が昨日から気になっていた。  

 Druk schoolでは普段から英語でコミュニケーションをとっているので、いわゆる目上の人に対する敬称としての「sir(サー)」なのだが、なんでもかんでも言葉のお尻にや頭に「サー」がつくので、なんだか軍隊か何かにいるような気になってしまう。聞こえ方としては日本の子供達が「先生」「先生」と言っている感じだろうか。最初は「sir(サー)」など呼ばれても違和感を感じ、むずがゆいので抵抗していたが、「Igarashi(イガラシ)」は覚えづらく、ただ「sir(サー)」と呼ぶ方が都合がよいのだろう。圧倒的な「sir(サー)」の呼びかけの量に屈服し、抵抗すること諦め、認めざるを得ないこととなる。僕は今「sir(サー)」と呼ばれて振り返っている。

 まずはじめの作業は、最初にできあがったSky Bedをみんなで持ってグランドに運び入れる。「boys!」ワンガさんが声をかける。力仕事は男子の仕事と言わんばかりに呼びかけにすぐに反応して男子が集まって運び出す。女子は軽い布などを運ぶ。小学生なので当然女子の方が体は大きいのだが、男仕事は特別なもののようだ。男子と女子。その役割は良い意味で分かれている。

 次に残り4つのSky bedを完成させるべく、空を描いた布を張り付けていった。人手が余ったので、僕と数人はそのままSky bedの制作を進め、潤は新たな動きとして、同時進行で「School of sky」の生徒を募集するための手作りチラシづくりを満開の桃の木の下で行った。

 お昼前にはSky bedと手作りチラシが完成した。トリスンという名の1人の男の子がSky bedの布をつかんでバタバタさせ、「sir(サー)!風が吹いてる!」と僕に向かって叫んだ。その様子は、僕にはまるでブータンのあちこちにある旗、ルンタやダルシンと似た存在に思えた。

 Druk schoolの山にもいろんなところにルンタやダルシンがある。山は広いのに、なぜあの場所を選ぶのかと一昨日ワンガさんに話を聞いたことがあった。そのときワンガさんは「breath of earth」と教えてくれた。地球の息吹を感じる場所に設置しているのだ。それは風の通り道である。

 今日の空を切り取ったようなSky bedには地球の息吹が宿っている。それを風となって動かすのは我々である。

 Sky bedの試乗会をした後で、担当授業の内容についてミーティングし、最後にチラシを学校中に配布して今日のワークショップ終了。

 明日いよいよ「School of Sky」の開校を迎える。30/March/2011 pm2:00-3:00たった1時間だけの学校がはじまる。

4日目 写真














4日目 北澤潤

2011328

 

 ワークショップの初日である。9時からのスタートに向けて7時起床、820分にホテルを出発した。雨が降っていたので対応策を考えながらのドライブだ。

 

 学校について屋根の下の机や椅子をうごかし場づくりをする。Skyといれてるだけあって何とか空の下で行いたいのだが、雨が降っている。校長先生が歩き回るこどもたちに、「風邪を引くから雨にあたらないように!」と叫んでいたので屋根の下だけでワークショップをおこなうことに踏ん切りがついた。

 

 机をいくつか合わせて大きな作業台を準備、まわりを椅子で囲む。横には竹の骨組みと、ハトメをさっそく付け始めるガイドのリンチェンさん。多すぎる机も横の建物の軒下に移動してかなりすっきりした。もういつでも来いという感じで待っていたのだが、一向に子どもたちが現れないではないか。9時からの予定が、9時半、10時をまわった。どうやら私たちが場づくりをしたり、待ちながら道具を整理したりしている姿が準備中にみえたそう。待っているんだよと伝えると先生が子どもたちを呼びにいった。少しずつバラバラに集まってくる。集まったのは大体20人くらいか、男女比は同じくらい。10歳から11歳までの生徒達だ。

 

 だいたいいいかなという頃合いを見計らってワンガさんが我々を紹介してくれる。名前を伝える。日本から来たと言う。そしてすぐに震災の話を始めた。全く仲良くなっていない、はじめの固い状態の時にこの話をしなければいけなかった。持って来た写真をめくりながら日本の現状を説明すると、みんな写真をまじまじとみてSadと言ったり、ため息をついたり、小さなリアクションをする。こういう場所から来た我々はここで君たちのエネルギーを背負って日本に届けたいと思っていると伝えた。

 

 ブータン人の名前は難しいのでこのままだと3日経っても覚えられない。生徒の名前を聞いてもらってカタカナに変換、テープに書いて胸に貼ってもらった。これで名前を呼びやすくなるのでなかなかいい方法だと思っていたが、これがのちに少し面倒な騒動になる。

 

 《School of Sky》の説明をする。「Simply, We create original sky and school together.」他にも色々言って説明する。私が「夢は雲で寝る事です。」というと、「私の夢は雲を食べる事。」と言う。完全にもってかれたのだが、これがうけた。空と学校をつくるということに、意外と彼らはすんなりのってきた。日本でこどもたちと一緒に活動する時の基本的な姿勢としてシャイでもじもじする、というのがあるが、ここDruk School 20人にはあまり無いような予感がした。そこまで意味はわからないがやれる、というスタートの姿勢。雲に見立てた竹と布のハンモックを「Sky Bed」と名付け、今日は空を描く。まずはスケッチブックに練習。その後白い布に青い絵具。乾いたら竹に張ってできあがり。みんないいねいいねというような反応で咀嚼している。

 

 スケッチブックに空を描いてみると、ほとんどが同じように空、太陽、山、俯瞰した街、川を描く。どこからはいったイメージなのだろう。山の形はとてつもなくとんがっていて高い。でもそれはブータンの山そのものだ。彼らの絵の描き方をまず見た上でこちらの描き方を投げかける。五十嵐さんが空を見ながら雲のラインをコピーしてみようとやってみせた。曇り空をじっと見ながら手を動かす。この描き方の方があるものを写しているだけなのに、さっきの画一的な画面よりはるかにイメージの幅が広い。数人で同じ紙に描いてみると重なったりしてさらに奥行きがでる。このやり方でいけるとわかったところで本番の布に。絵の具やハケの数はかなりギリギリなのだけど学校のものを使わせてもらった。

 

 青色をいくつかつくって布に描き始める。紙に描いた要領を活かして上手く手を動かしていた。1枚目が終わったところでランチの時間。ここで問題が浮上する。ブータンに滞在するときは絶対にガイドが密着する。自由旅行は不可能でランチもガイドが予約するのだ。言うなればツアリスト用のシステムなのだが、もうそろそろ我々はそのシステムと合わない部分が出はじめていて、このランチ問題も同様だ。午後も作業を継続するのにもかかわらず現場を離れて綺麗なレストランで食事しないといけない、大変わずらわしいロスである。なんとかガイドにお願いして予約の時間を遅らせることに成功、学校の給食を食べることになった。ほんのすこしはいっている副菜がべらぼうに辛いが、美味しかった。生徒は屋外でもどこでも好きな所でランチを食べている。

 

 ランチ後、次の空を描く。白い布への最初のためらいなど全くなくて、むしろ勢いが増してきた。竹の骨組みづくりも同時に進めながらだったので、彼らは自分達でどんどん描く。どんどん手も顔も青色に。気づくと手で塗り始めていて、ちょっとその展開を疑いはじめた。雲の線を描いてもないし、絵具が飛び散って汚くも見える。「空らしさ」が薄くなってしまっていた。私は骨組みづくりや記録の役割を一度離れ、空に参入した。みな手を使うなかで細かい筆をとり、雲のカタチを丁寧に縁取っていく。もう色面はいいから縁取ろう、勢いが収まらずあまりに伝わらないから珍しくリンチェンさんに通訳を頼んだほどだ。

 

 ほどなく落ち着いてワークショップの時間は終わる。子どもたちも教室にもどったのだが、なぜか数人は残っている。授業じゃないの?と聞くと体育の時間だよ、と言う。不思議だったのでワンガさんに聞くと、いま体育の時間はすこしフリーらしい。体育というより遊びの時間だ。残った数人と計5枚の空を描き終わり、最初の1枚を試しに骨組みに張ってみた。授業を終えた最上学年のタンディが寝転がってみるが耐えている。さらに同じ名前の一緒に描いた少女タンディも乗っかる。すっぽりはまって気持ち良さそう。これで快晴の空を眺めたらなんて気持ちいいだろう。空を描いた行為と、それにカラダを委ね天空を眺めるというストーリーに、小さなタンディの様子をみて納得した。

 

 明日はこのスカイベッドの5台完成と、授業づくりをする。スカイベッドを場として使い、学校にたいして自分たちの授業を企てる。1日でやれるとは思えない内容量である。

 

 帰るまでに一緒に活動した20人以外の生徒が寄ってくる。自分の胸にも日本語の名前を貼ってくれと次から次にオーダーを受けた。飽きたころにお茶の時間がやってきて、今までで一番良いタイミングのミルクティーだと思った。

 

 幾つかのボーダーラインが頭を泳ぐ。SkySchool、スカイベッドと授業づくり。やりすぎな雲の描き方と、ギリギリセーフな雲の描き方。私はできればこの、空の布を日本に持ち帰りたいと考えていた。ブータンと日本。ここで終わるのではなくこのエネルギーを次に繋げていきたいと考えていた。だからみんなの雲の描き方が気になってしまったし、雲のふちはキレイに描いてほしいと言った。それは彼らにとっての良い描き方かどうかではなくて、私の勝手な個人的心境がそうさせたのだと後から思う。私はそのとき目の前のハツラツとした子どもたちの塗りたくる青色の先に日本の青色を思い描いていた。

4日目 五十嵐靖晃

2011年3月28日(月)

 

School of Sky 1日目」

 ワークショップ初日。あいにくの雨。グラウンドでのワークショップ開催は難しい状況のため、昨日の準備スペースを会場にした。そこは生徒のみんなが校舎を移動するのに必ず通る場所だったので、結果的にプロモーションとしては一番目立つ場所でワークショップを行うことができ、不幸中の幸いであった。朝から始まったワークショップによってその場所が刻々と変化していく様子を他の学年の生徒も先生も前を通過する度に見ることができた。皆、日本人である僕らへの興味と、どんどんモノができていくスピード感に、足を止め、話しかけてきてくれたり、中には飛び入りで参加してくれたり、1日目としては、作業の進行具合も学校内への波及効果もなかなかの成果をあげたように思う。

 8:30頃に学校に到着。準備作業を手伝ってくれた少年達も美術教員のワンガさんも、昨日は普段着だったが、今日は皆「ゴ」という民族衣装に身を包んで男前である。「クズザンポー」朝の挨拶を交わす。

 9:00からワークショップスタートの予定だったので、作業スペースを整理して、大急ぎで場所のセッティングを行う。ところが9:00を過ぎても生徒は来ない。何もない時間が流れる。「来ないね、、、」潤と2人で不安になる。美術の先生のワンガさんに尋ねると、「もうすぐ来ます。あと五分」といって呼びにいってくれた。この時は時間通りに進まないのもブータンならではなのかなと思ったが、今考えてみるとセッティングが整い僕らが声がけするまで、ワンガさんが待っていてくれたのかもしれない。そう考えると、ブータンでは時間よりも場や関係性を重要視しているのではないだろうかと考えられる。過去の学校での経験では状況はどうあれ時間どおりに進んでしまうということの方が多かったので、機が熟すのを待つようなやり方は新鮮さを覚える。

 10:00頃、やっと3日間共に活動する生徒達とご対面。10才〜11才の男女10人の計20人。ブータンでは5年生だが日本の3年生に相当する。見た感じの印象は「ゴ」や「キラ」といった伝統衣装が制服であること意外、日本の小学生となんら変わりはない。

 自己紹介をして、その後、震災の写真を見せながら日本で起きたことを説明した。皆、真剣な表情で写真を見て、何を思うかの質問には「悲しい」と言っていた。僕らはワークショップを通して受け取ったみんなの想いと元気を日本に持って帰って、現地に届けたいと話をした。

 「School of Sky」は空の下に空をつくって、学校の中に学校をつくり、それぞれの日常での見え方や普段の関係性を変えてみようという試みである。ワークショップを行う3日間の流れは、1、「空」という場を校庭に立ち上げるための雲(Sky Bed)づくり。2、空で授業をするとしたらどんな授業をするか生徒みんなで考える。3、生徒が先生になり、先生や大人が生徒となり、空の授業を行う。といったものだ。

 生徒達に、学校の校庭に空をつくり出し、そこで授業をしてみよう。といった内容を簡単な英語で説明するのだが、言葉の壁がある。意味は通じてもいまいち雰囲気が伝わらない。

 ワークショップをいざはじめるにも、緊張がなかなか解けないでいる。この状況を打破するため、「日本の名前をプレゼントする」と言って、1人ずつにカタカナの名札を作って胸に貼っていった。これが意外にも好評で、場の雰囲気を和らげる効果を発揮した。僕らも名札を見て1人1人の名前を呼ぶことができた。ここから一気にワークショップが動き出す。名前を呼べるということ、自分の名前が呼ばれるということが、こんなにも嬉しく楽しいことなのだ。その後、休み時間になると、どこかで見たのだろう。他の学年の生徒まで、自分も日本の名前がほしい、友達のもほしいと、ひっきりなしにやってくることとなる。

 「School of Sky 1日目」はSky Bedの制作。まずは何も見ないで雲の絵をスケッチブックに描いてみる。次に、実際に空を見ながら、そこに浮かぶ雲のアウトラインを目で追いかけながら、手元をなるべく見ずに手を動かし、数人で1枚の模造紙の上に線を描いていってもらった。線が重なって出来上がった形の中に青を入れていって雲のスケッチを行った。

 次は本番。同じ要領で、3m×1.5mの布に雲の線を引き、空の青を塗っていき、5枚の布うちの1枚が完成したところで12:00を迎え、今日のワークショップは終了。午後に自分たちだけでできることろまで作業を進めることにした。そしたら給食のあと、13:00までやってもよいということになったので、僕らも一緒に学校給食をごちそうになった。

 13:00まで作業し、そのまま学校で制作を続けても良かったのだが、ガイドさんは予約したレストランを断りたくないという思いがあり、我々の休憩も兼ねて、本日2度目の昼食を食べに行き。お腹いっぱいで14:00に戻る。

 午後は少人数で、このまま地味に進めていくのかと思っていたが、夕方に波が来た。午後は授業があるから来ないと言っていたのに、なぜか生徒が山ほど参加してくる。授業はいいのだろうか。楽しかったからもう一度来てくれたのだろうから嬉しいのだが、いまいちこの緩さはつかみづらいものである。昨日の準備作業を手伝ってくれた少年達も合流し、さらに現場は盛り上がりをみせ、残りの4枚の布も全て描き切り、人手が空いた時に掃除のおじさん達などと一緒に制作を進めていた竹の構造体も5時頃にはすべて完成していた。

 竹の構造体と、雲が描かれた布、Sky Bedの全てのパーツが完成した。昨日失敗した試乗実験の結果が気になっていたので、最後に一つだけ組み上げてみる。偶然、帰りに通ったワークショップに参加してくれていた女の子のタンディに声をかけ、試乗してもらう。緊張感が走る、、、。おお!うまくいった!笑みがこぼれる。タンディ「very interesting」。簡単にかたづけと場所の整理をして学校を離れる。

 Sky Bedは、明日残りの4つの構造体にペイントした布を張り付けて完成となる。これで、「School of Sky」のSkyの部分にあたる、空としての場づくりは設置作業を残すのみ。明日、メインとなる作業はSchoolの部分である。完成したSky Bedから空を眺めながら、空で授業をするならどんな授業をするのか、イメージを膨らませてもらいたい。みんなからどんなアイデアが出てくるのか楽しみである。

3日目 写真











3日目 北澤潤

2011327

 

無理をお願いして、日曜日にも関らずDruk School にいれてもらった。

明日からはじまる《School of Sky》の準備をするためだ。

今日の作業は雲にみたてたベッドのサンプルづくりである。

 

新校舎の建築現場から竹をたくさんもらって、骨組みをつくる。

制作メンバーは、私と五十嵐さん、ガイドのリンチェン、運転手のキンレーさん、ワンガさんと最高学年13歳のタンディとの友達ふたりの計8人。

 

竹をクロスに組むために切り込みをいれ、縄で縛る。クロスに対して縦横に竹材を組むことで四角い竹の骨ができる。

デュパ(ゾンカ語でブータン人の意味)の作業の仕方は私にとって新鮮だ。おもしろいと同時にややこしい。手先はみんな器用で、縄を結ぶのなんてお手のもの。おそらく村仕事で経験がたくさんあるのだろう。早いしとても強く縛ることができる。ポイントは休憩のとり方だ。わりと短いスパンでお茶の時間がある。決まって温かく甘いミルクティーを飲むのだが、基本的にみんな一斉に休みお茶をしないといけない雰囲気がある。それだけならまだしも、竹を抑えながら縄を結ぶような何人かの手が必要な作業をしているのに、話をしてたりふざけていたりする。それなのにやるときはやるし早いし強い。指示出しの側としては、この作業の時間の使い方に対する文化の違いが最もむずかしい。私と五十嵐さんは昼食をとった折に二人とも思っていたであろうことをまとめた。「あんな感じだからゆっくりやろうか。」彼らに合わせる方向だった。

 

竹の骨の上面に白い布を張る。日本からもってきたハトメを付けて縄で張る。大人が1人寝転がっても余るくらいの白いハンモックのような浮遊感あるベッドを雲にみたててグラウンドに設置する。

 

サンプルができあがって、試しに私が寝てみる。ゆっくり布に横たわった瞬間、嫌な音がした。びりびりとハトメ周辺が破け落ちる。救出される私と笑い声。ワンガさんに布を二重にして縫い合わせるミシン作業を明日までにお願いした。

 

まずは雲をつくることをして、その場を活かした授業をグループに分かれて考える、そして最終日に発表するというスケジュールを組んでいる。今日サンプルをつくっておいたことは雲づくりの方法を確かめる上で大事だった。案の定、私の体重にはもたなかったのだから。

 

つたない英語でのプランの共有から、スピードにのって、でもお茶をのみながら、カタチになっていく。みんなカタチになればより伝わっていくようで、気持ちもあがってきている。追加の縄を購入して、3日間のワークショップに向けた準備は整った。明日に向けて寝ておこうと思うので日記は短めになるが、その分明日の内容が色濃くなることを期待する。

 

 

ひとつここで書いておきたいこと。

School of Sky は日本におきた震災と内容としては関連性を特に持っていない。

それは考え話し合った上での積極的な判断の結果だ。

 

私がこれまでおこなってきたいくつかの活動は、それぞれ現場となる地域に同居したからこそ可能なことばかりであり、ある意味その地域で完結する出来事をつくってきたといえる。

つまり、関わる地域それぞれに対して向き合う態度を重要視してきた私は、日本とブータンを軽やかに結びつける方法論はいま持ち合わせていなかった。というか、むしろ日本の現状をキーワードにしすぎることで、ブータンの人びと、特にDruk Schoolのみんなとのコミュニケーションに閉域ができてしまうのではないかという懸念がある。震災というキーワードによって復興支援の活動として彼らと関わるよりもできるだけまっすぐ彼らと関わることにしたい。だからまず明日、Druk Schoolという現場で考えられるできる限りの方法(=School of Sky)で場と人と関わってみようと思う。

そしてそのエネルギーをどう受け止めて持って帰るかをまた別で思案しようと思う。

もちろんラミネートしてきた日本の現状をつたえる写真を彼らに見せることから明日は始める。

 

3日目 五十嵐靖晃

2011年3月27日(日)

 

「ブータンスタイル」

 今日は一日学校にいて、明日からスタートするワークショップの準備作業を行った。作業内容はSky Bedのサンプル制作である。

 8:00起床。ブータン滞在3日目。だいぶこっちの生活に慣れてきたような気がする。外国での滞在でまず壁になるのが食事である。エマ・ダツィという唐辛子とチーズでできた食べ物がブータンの人達のソウルフードであるように、ブータンでは多くの食べ物に唐辛子が使われている。ブータン人は唐辛子が好きである。最初は辛さに驚いていたものの、体の中に徐々に辛さに対する免疫ができたのか、数日の間に唐辛子を欲する体に変わってしまった。自らの身体の順応能力に驚く。ただし、朝のトイレが辛い。お尻が痛いのである。食事と排泄。辛さを2度味わっている。エマ・ダツィは子供も食べるのかと聞くと、6歳くらいから食べ始めるという。辛いには辛いのだが、これが美味しい。唐辛子とチーズを組み合わせた味は、食べるまではまったく想像できなかったが、癖になる味である。

 9:15学校へ。どこの国も同じだが日曜日の学校は静かで、且つ、あいにくの雨だったので人手が心配だったが、僕と潤以外に美術教師のワンガさん、彼が声がけしてくれた友人と美術に興味のある中学生くらいの学生達、ガイドのリンチェンさんもドライバーのキンレイさんも作業に加わり、総勢10名程度の人が集いSky Bedのサンプル制作を行った。  

 Sky Bedのつくりは竹で作った構造体に布を張るといったシンプルなものである。素材である竹は新校舎建築の資材として使っていた竹で、昨日の学校見学の際に山ほど積んであるのを発見し、その場ですぐに使用許可の確認をとっておいた。布やロープは昨日、町で購入しておいた。

 まずは作業場所づくり。置いてあった机や椅子を動かし広いスペースをつくる。次にやりたいことを図を見せながら話すと、皆でああだこうだと言いながら、竹を運んだり、切ったり、組んだりして作業は進み、お昼には竹の構造体ができあがった。上に張る布の縁に紐を通す金属の輪をとりつけて、構造体に貼付けて、サンプル完成。すぐに試乗実験を行う。潤が恐る恐る乗り込んだ次の瞬間、「あっ!」布が破けて笑いが起こる。しかし、これは問題だ。再び皆でああだこうだと言った結果、布を二重にして縁を縫うということで話がまとまった。最後に明日の作業で構造体が量産できるように材料の切り出しとパーツづくりをして一日の作業を終えた。

 実作業を通して、明日からのワークショップの参考になる発見があった。ガイドのリンチェンさんもドライバーのキンレイさんも含めて皆こういった作業は好きと言っていたが、明らかに盛り上がる瞬間と全然やる気のない瞬間とがある。これはいったいなんなのだろう。他には頑張っている人の横で、別に休んでいても構わないようで、それに対して特に腹を立てないように見える。来て少しして、何もせずに帰る人までいる。あと何かとお茶が好きで、休憩が好きである。そんな焦らずにのんびりと波を待つようなブータンのスタイル。

 明日からのワークショップもあまり決めすぎないでブータンスタイルでいこうと思う。

あまりタイトにスケジュールを組んだりしてもうまくいかないだろうし、逆にイライラしてしまうかもしれない。波が来れば確実に進む、ゆっくりのんびり遠回りでも、その目的までたどりつければよいのだ。

 夕方、ティンプーの町の時計台のある中央広場で人だかりに遭遇する。こんなにたくさんブータン人が集まっているのは、何事かと聞いてみると、宝くじの当選発表をしているという。日本と同じように事前にチケットを買う。ちょっと違うのは当たるのがお金ではなく。車やテレビといったもので、その商品が広場の中心に展示してありそれをぐるりと人が囲んでいる。それと雨のために延期になってしまったが、当選発表をする前に、日本の震災に対して義援金を送るイベントを行う予定だったと聞いた。仮に目の前でこのことに出会ったら、自分はブータンにいる日本人代表としてお礼をしに広場の真ん中までいこうと心に決めた。今やれることをやるしかない。

2日目 写真