ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月28日月曜日

0日目 北澤潤

2011年3月24日 

ばたばたと準備を終えて、家を出た頃にそういえば今日が誕生日だった事を思い出した。6:38の電車、と言い聞かしていて、前日寝たのは4時頃だった。早朝、父に珍しく頼み込み駅まで送ってもらった。寝間着のままで急いでキーを持ち、仕事用の革靴をなぜか履いて「さぁいこう」と飛び出してくれる彼をうれしく思う。

 震災後つづいている計画停電の影響でどの乗り換えルートをえらぶべきか判断に迷った。予定より早く乗れたこともあり、一番遅いが安いルートを選んだ。が、予想外に土日ダイヤだったため遅れた。

 8:45のところを10分おくれ。Cゲートで待ち合わせた五十嵐さんは大きな箒をもっていた。自分もなにかもってくればよかったかーと思ったけどプロジェクトで使う道具というのが大してなかった。

 空港でやらねばならない事、両替・保険・携帯・電源。すべて終えるともう出発が迫っていた。タイ空港でバンコクへ。ブータンへの経由地だ。

 記録につかうビデオカメラの使い方をたしかめながら搭乗口、機内、座席とすすむ。この旅はどうなるのかね、と話しながら、予測不能、状況複雑な数日間を想像した。

 飛行機からでる11人を放射能検査が待っていた。

 バンコクでの一晩は全くなにをするか決めていなかったので、とりあえずホテルに行くことにした。600バーツでタクシーにのるがこの値段がとても高かったことをのちに知る。

 ホテルの前には活気あるマーケットが広がっていて、観光客はほとんどいない。地元の人が集まっているようだった。しばらく歩く。肉、魚、野菜、※、なんでも売っている。

 バンコク市内に出ることにしてタクシーと電車を乗り継いだ。駅でタイ人に似ているらしく話しかけられた人はドイツ人だった。パタヤビーチにいきたいらしい。

 私は日本から来たんだというと。Crisis とつぶやく。良い方に向っているのか、悪い方に向っているのかと聞かれたので、「だれもわからない」と答えた。

 経由地のことを記しておくことの理由として、当初、というか数十日前の時点での「ブータンに滞在しプロジェクトを行う」という目的性があるいみ崩壊した事を挙げておく。

 日本の事を考えている。

震災後、世界も日本を考えていることだろう。

 わたしたちの旅は、この状況下で、日本を出発し、日本の外の人と出会い、共に日本を向き、そして日本へ還るという往還に意味をつくることとなった。

ブータンという土地に入りその土地でプロジェクトという関係性をつくるということではもう収まらないのだ。

 だからバンコクに行くのも「今、日本を出た」というはじまりとして重要だと言いたい。

 ここまで日本を考えることはおそらくなかっただろうと思うのだが、何となくそれが「国家」というより「島」という一体感であって欲しいと期待している。

 タクシーにのるところで知り合ったフィンランド人はタイで地震のトップニュースを見たという。

 カオサンストリートは祭りのような雰囲気で、明日の事を考えてうまいタイフードとビールを呑んでもどることにした。ようやく決まったレストランでの味に満足だった。

 電車の中でも、海外に来ているのに、ここに来ていていいのか、どう帰るかに思いめぐらせ、自分の今を疑った。とにかくちっともスッキリしない国外滞在なのだ。

 帰りのタクシーはぶっとばしていて行きの五分の一くらいでついた。

明日に備え寝た。

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