ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月28日月曜日

0日目 五十嵐靖晃

2011年3月24日

離れて感じること」

 僕は今、タイのスワンナプーム空港近くのホテルにいる。すぐ横のベッドに、今回行動を共にするアーティストの北澤潤がいる。我々の今回の渡航目的はここタイにはなく、明日入国するブータンという国にある。現地では10日間ほどの滞在中に小学校でワークショップをしたり、大学へ表敬訪問したりする予定である。また、それらの活動を通して、ブータンの文化とその価値観に触れることや現地の人とのつながりが生まれることを狙いとしている。

 日本からブータンへの直行便はなく、乗り継ぎの関係でタイで一泊することになった。部屋の外は熱帯地域特有の湿気が辺りを包み、半袖でも汗がにじみ出てくる。出国時の日本もこれから行くブータンもまだ気温が低いためダウンジャケットを持ってきたのだが、タイの熱さは誤算だった。

 空港にたむろしているタクシーの運転手の1人が、傍らにダウンジャケットを抱えた僕を見てニヤリとし「暑いから それ いらないだろ。オレにくれ」と一言。周りの仲間が笑う。タイの熱帯ジョークなのだろうか。10年ほど前に訪れた時に比べて、空港もバンコク市内へ伸びる電車も新しくなったようで、どこもピカピカの最新式で世界の都市と変わらないように思え。その急激な発展と変化に驚きつつ、また少し淋しくもあったが、町に出ると、香辛料と排気ガスが混ざったような、あの独特の匂いだけは記憶の中のそれと変わらずに残っていた。

 こうしてここまで日記を書いていると楽しい海外旅行記のようだが、今回の海外は今までのものとは全く感覚が違う。ことあるごとに日本のことを考えている自分がいる。なぜならそれは、千年に一度と言われる大地震と津波、そしてそれによって発生した原子力発電所の事故によって、甚大な被害が生じ、東北、関東をはじめとして、たくさんの方々の命が奪われ、今もまだ余震や放射能汚染に対する緊張状態が続いており、日本は今大きな危機を迎えている状況にあるからである。

 移動の途中で道を尋ねてきたドイツ人カップルも、乗り合いタクシーで一緒になったフィンランド人も皆、僕らが日本人だと分かると「地震、、、知っているよ」「日本は今どうなっている?」「原子力発電所はどうなった?良い方に向かっているのか?悪い方に向かっているのか?」と真剣な表情で話しかけてきた。そして驚いたことに、タイ入国時には、飛行機を降りてすぐに、行列ができていると思えば、物々しい装置を持った数人のスタッフが乗客一人一人にセンサーを当て、放射線量を測定していた。彼らから見たら僕らは危険な日本から逃げてきたようにも見えたのかもしれない。

 こんな状況の中、僕は今こんなところで何をしているんだろう?という問いが自分の中で生まれる。出発直前には、被災地のいわき市や水戸市の知り合いの方から、メールをいただき、義援金を送ってくれたブータン国王やブータンの人々に感謝の意を伝えてほしいと、その気持ちを預かってきた。関東の友人達からの「気をつけて行ってきてね」という言葉もいつもと同じようには受け取れなかった。日本のことが気になって仕方がない。それこそ今、この瞬間は大丈夫なのだろうか?

 僕は何をしに来たのだろう?僕にできることは何なのだろう?僕は今、日本を離れタイにいる。明日はブータンにいる。離れれば離れるほど、その問いは自分の中で大きくなる。

移動しているから、そこから離れてみたから考えられることがある。その答えなのか、何かしらのヒントなのか、それをこの旅を通してつかんで帰りたい。

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