ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月30日水曜日

2日目 北澤潤

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今回の旅の一つの目的はティンプーの小学校でのワークショップ。28日から30日までの3日間、場所はDruk School。和訳すると龍の学校、さすが雷流の国ブータン。このワークショップが軸となってこれからの数日間を過ごすことになる。

 

日本を出る前も打ち合わせをしてプランをイメージしてきたが、こればかりは現場にはいってみないとわからない。今日はまず小学校の下見にいくことになった。特にアポイントメントはとっていないが外見だけでも、ということで9時に出発した。ティンプーの中心部から西へ、坂道を車でしばらく登っていくと15分ほどで到着する。

 

工事現場の横に着いた車、階段をあがったところから山の斜面沿いにいくつか建物が建っていてぜんぶあわせてひとつの学校になっている。今日は土曜日なので学校は午前中ですべて終わるらしい。学校以外、仕事もみんな同じで日曜日に関しては完全に休み。なんだか街全体の足並みが揃っているようなガイドの言い回しで知った。

 

ノーアポイントメントにも関わらず、ガイドのドルジは平気で入り口から入り、運転手のナムゲも当たり前のように入っていく。あたかも予定に入っていたかのように入り、話しかけ、いつのまにか数人の先生と握手していた。校長先生のキャラクターは強烈、早口で今回のワークショップのスケジュールを確認されたと思ったら、「明日は晴れるわよ、私の予報は間違いないわ。」Weather Professor.と呼んでみたら先生たちも笑っていた。

 

ワークショップ会場の候補は二つあるという、一つは屋外で一つは屋内。見学ツアーがはじまる。案内役はワークショップの手伝いもしてくれるワンガ先生だ。屋外の場所はメインのグラウンドが見渡せる緑の屋根がある空間。ベンチや机が並んでいて、多目的なスペースなのだろう。ぱっとみた感じでは良さそうである。

続いて屋内の候補。これはいま新築工事をしている新校舎の中だった。パロの建築風景とは異なり、ティンプーではインド人がほとんどの建築物をつくっていて、新校舎のなかにもインド人が何人かいて、建築資材が転がっていた。この工事中の状況ではできないでしょう、という当然の疑問はおいといて、屋外の場所は良かったので屋内候補は早々に却下となった。

 

ひととおり見終わったら見学ツアーのスタート地点だったArtの教室にもどった。生徒人数分つまれたスケッチブック、壁面の絵、ワンガさんから話を聞くとやはりブータンでArtが示すのは絵であることにあまり間違いはなさそうだ。ブータンのアートについてここにきて初めて色々と知識を得た。アートが意味するところはそのほとんどが伝統的な宗教画であること。唯一、“フリーペインティング”(ワンガさんの使っていた言葉)をやっているのは、ティンプーの中心である時計台広場の横に拠点をもつ VAST という団体のメンバーのみなのだという。いまのところの情報ではブータンのアート事情はとてもシンプルな状況である。

 

Druk School見学ツアーを終えて、私と五十嵐さんはこの学校の中心にあるグラウンドに行き、ワークショップのプランを練るミーティングを始めた。

 

多くの言葉を省略して言うと、五十嵐さんは「雲」がつくりたいといって、私は「学校」がつくりたいといった。雲については、五十嵐さんの持っていた出国前のプランと、パロ空港に降り着く直前の機内での我々の対話、そしてこの場所の印象から導かれているのだと思う。学校については、私が水戸の小学校でもうひとつの学校をつくる「放課後の学校クラブ」という活動をやっていることが多いに関係している。ブータンだろうと水戸だろうと「学校」と呼ばれるものに対して同じアプローチをあえて仕掛けていく。

Druk Schoolは空が近い、Druk Schoolは学校である。という現場の二つの要素を選んで、我々はそれらをそのまま入れ子状につくりだすという狙いを共有した。空の下に空があって、学校の中に学校がある。空の学校をつくることにした。

このワークショップのタイトルを《School of Sky》に決めた。

 

このプランをワンガさんにプレゼンテーションした。校長先生にも、ワンガさんにも、アートクラブの生徒にも、日本からやって来て「子どもたちと一緒に絵を描く」と考えられていた前提、換言するとブータンにおけるアートの前提。それを我々はまずワンガさんに向けたつたない英語によって切り崩そうと、精一杯説明した。

 

学校を出て、材料の買い出しにむかう。

 

買うものは、大量の布、縄、マット。マットを買った店の近くにある市場が鮮烈な印象を残している。立体駐車場のような建物に野菜や果物、肉、チーズ、干物、唐辛子、箒。ありえない数の露店が区画化され、ひしめきあっているようだ。1階部分の野菜売り場はすべてインドのもの。ブータンの食料はかなりの割合でインドのもので、ブータンのものは少ない。その証拠にこの市場でもブータン産のものを売るエリアは2階のごく一部であり、品種は限られたものだ。

しかもブータン人は仏教を信仰している。「ブタン人は動物殺すことしない、でもすごいたべてます。インドからきてるね。」ガイドのドルジの言葉はときどき刺激的だ。

そういえば彼は急遽わたしたちの担当ではなくなって、リンチェンさんというガイドにかわった。理由は彼の妻が第一子を妊娠しているためだった。

 

買い物を終えてブータン国営放送(BBS)のプロデューサー、ワンチュクさんと会う。彼とは出国前に一度日本で食事をしていた。娘のボンチュも一緒だ。ホテルのロビーで待ち合わせして、噂の“フリーペインティング”VAST の拠点に行ってみる。ワンチュクさんは以前VASTを取材したことがあり、よく知っている。1階がサロンのようになっていて、2階がアトリエ兼絵画教室兼展示スペースになっている。ほとんどが予想通りではあったのだけれど、にじみでてしまうブータンらしさがうまくいってる作品もあったように思う。VASTは国王にもちゃんと評価されていて、地方の支援活動など幅広く活躍している。伝統に対して単に反抗する小規模集団ということではなかった。

 

夕方になりワンチュクさんいきつけのバーに行く。ブータンのビールは8%で強めだ。高地であることもおそらく関係していると思うのだがいつもより酒が効く気がした。つまみの定番、ピーナッツマサラを食べながら少しの間呑む。店を出る時はとてもシャイな3歳のボンチュとだいぶ仲良くなっていた。

 

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