ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年4月8日金曜日

9日目 1日後 五十嵐靖晃

「帰国」

 

 ブータンから日本へ移動する日。昼の11:20パロ発の便でバンコクに向かい、数時間バンコクの空港に滞在し、夜の23:50バンコク発の便で成田に向かう。機内で一泊して翌朝4月3日の朝8:10に成田に到着した。そしてそのまま、その足で、昨日から今日までアーツ千代田3331で開かれている、東日本大震災復興支援アートアクション「いま、わたしになにができるのか?—3331から考える」に向かうという2日間の動きだった。

 

 ブータンを離れる朝を迎える。8時ロビー集合。空港に向かう道中、地元の学校の駅伝大会が始まろうとしていた。道中点々と人が集まっている。ブータンにも駅伝あるんだ、、、などと車窓を流れる景色を半分寝ながらぼーっと見ていた。

 

 9時過ぎにパロの空港に到着。今回、とてもお世話になったガイドのリンチェンさんとドライバーのキンレイさんとお別れである。この2人はほんとにいいコンビで、さんざん笑わせてもらった。毎日一緒だったこともあるし、ワークショップも一緒にやってくれたし、ガイドとドライバー対外国人という垣根は完全に飛び越えて、既に仲間のような感覚になっていた。

 

「リンチェンさん。今回のガイドどうだった?」「こういうの、わたし、はじめてで、おもしろかった。つぎきたら、わたしまたガイドします」その様子を、いつも通り少し離れたところでキンレイさんがニンマリしながら見ている。だいたいこんな感じだった。次回も是非このコンビにお願いしたい。

 

 そう。また来るんだなと、思わせる国である。なんというか、はるか遠くの外国というより、ちょっと離れた日本の故郷といった感覚である。初めて来たにも関わらず懐かしさと親しみを感じた国だった。

 

 尾翼に描かれたブータン国旗とそのむこうにある近い空をしっかりと目に焼き付けて飛行機に乗り込んだ。

 

 パロ→バンコクもバンコク→成田も、飛行機の中ではほとんど寝ていた。ブータンでは朝から夜までがっつり動いていたので、かなり疲れていた。バンコクでの乗り換えを待つ時間は、書き切れなかった日記を書いていた。

 

 4月3日の朝、日本に到着。成田空港でまず目についたのが、動いていない動く歩道。そこには震災の影響による節電です。と書かれた貼り紙がしてあった。外から帰ってきて思ったことは、日本は、特に東日本は大きなプレッシャーの中で生活しているということだ。それは震災を受けて以降、余震への恐怖心や、放射能への不安感といったものが、連続した毎日の中にあり、それを皆同じように暮らしているから、無意識でも、それに慣れてしまわざるを得ない。

 

 そこで考えられることと、離れて考えられることは違う。日本を離れる時もそう自分に言い聞かせていた。

 

 3331に着くと、出発前に被災地である水戸からメールをくれたご家族と偶然再会することができた。「おかえり」と言ってくれる。僕は「ただいま戻りました。」といってブータンの話と水戸での被災の話を交換する。僕にとって初めて会った被災者でもあった。正直、会えただけでとても嬉しかった。でも当然ながらその表情はいつもとは違うし、その雰囲気から僕の想像では及ばないストレスを感じる毎日の中にいたのだと理解した。

 

 離れたから考えられること、むこうで得たものを被災地に届けられるかもしれないと思って日本を出たが、むこうで全力で土地と人と向き合って動くには、ある程度気持を切り替えざるを得なかった。結局、できることは、現場に行かないと分からない。それはブータンでも被災地でも同じである。そこの土地と、そこに暮らす人達と向き合った時に初めて、僕が本当にやるべきことがはっきりするのである。

 

 土地に入って活動する時、全力で向き合う覚悟がなければ、何も伝えることなどできない。

 

 行く前と行った後と何が変わったのだろう?

 

 空にほど近い、日本のふるさとからの「幸せとは何か?」という問いかけが僕の中に響いている。間違いなく持ち帰ってきたものの1つはその問いかけだ。

 

「幸せとは何か?」その言葉に、記憶がよみがえる。過去の日記を捜す。それは6年前、4ヶ月間ヨットで太平洋の島々を旅した時の最後に、自分のためだけに書いた日記の中にも記されていた言葉だったことに驚いた。

 

そこにはこう綴られていた。(一部のみ抜粋)

科学技術の発展と共に人はどんどん退化しているように思う。退化だけならまだ良いが生きていく豊かさすら既に日本という先進国では見つけづらくなっている。みんな何処に向かって行けばいいのかよくわからないのだ。何が幸せなのか。どうなりたいのか。生きているリアリティを感じたいのだ。今まで人類は世界を理解するために数々の方法を編み出して、それを説明しようとしてきた。理解できない何か全てものを説明するために、人は宗教を作り、その長く続いた時代が終わり、科学の時代が来た。科学で世界の全てを説明しようと理解しようとしてきた。それは結果的に利便性と引き換えに心の豊かさと、生き物としての強さと可能性を危険にさらすこととなった。どの時代も必ず終わりが来る。飽和状態となって終わりが来る。そもそも全ての説明をすることなどひとつの考えでは不可能なのだ。あり得るとしたら、世界は自分があるから存在するわけであって、その自分というのもを高めること。宗教でもなく科学でもなく自分を研究することが一番重要で一番豊かに生きることができる唯一の方法なのだろう。誰かの真似をしたところで決してその人以上にはなれないし、むしろ気づいた時に死にたくなるだろう。いったい今まで何をしてきたのかと、、、。アートはそれを常に実験している。

 そう、僕は僕の人間性の追及をしたいのである。人間らしさを研究したいのである。豊かに生きるために、それを発信するのは豊かに生きるために何かを探して喘いでいる姿を見せるようなもの、でもその姿を見てそれから何かを感じてくれればそれこそが表現なのではないだろうか。そして見た人が自分で探せばいい。自分にしか見つけられない自分を、、、。

 

そういえば、あの時、航海を終え、展覧会場であった水戸に帰ってきた時に、初対面で、水戸駅前で会って「おかえり」と言ってくれたのも、今日3331で会った水戸のその人だった。

 

あれから6年経つ。海のむこうを見てきて、近くに空を感じてきて、少しはその答えに近づいているのだろうか?

 

それは僕がこれからも活動を通して体現していくしかない。

 

ブータンの飲み屋で会った酔っぱらったおじさんに「お前の幸せはなんだ?」と突然聞かれたことがあった。僕がうまく言葉にして答えることができずにもごもごしていると。

 

おじさんは「オレの幸せは、次の世代につなげていくことだ」と言っていた。

 

空港に向かう道中、地元の学校の駅伝大会が始まろうとしていた。道中点々と人が集まっている。ブータンにも駅伝あるんだ、、、などと車窓を流れる景色を半分寝ながらぼーっと見ていた。

 

今考えると、あれが今回最後に見つけたブータンだった。

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